2011年11月09日
名言シリーズ ハンス・ウルリッヒ・ルーデル
この人をご存知でしょうか。
第二次世界大戦中のドイツ空軍大佐 ハンス・ウルリッヒ・ルーデル
出撃回数2530回、被撃墜回数30回
戦果:戦車519輌、装甲車・トラック800台以上、火砲150門以上、
装甲列車4両、戦艦1隻、駆逐艦2隻、上陸用舟艇70隻以上、航空機9機・・・
(Wikipediaより)
あまりの戦功にソ連軍からは賞金10万ルーブル(現在の日本円で約1億円)の賞金を懸けられ、
65機撃墜のソ連でも有数のエースパイロット(もちろん戦闘機)を爆撃機で撃墜し、
高射砲により右足を失うが完治する前に病院を抜け出して義足で再び出撃し、
ルーデルが死ねば全軍の士気に影響が出るとして、総統ヒトラーに「昇進させてやるから出撃するな」
と言われたが断った。
嘘くさいでしょ?(・∀・;)
ええ。あんまりな撃墜スコアです。当時は撃墜数を水増しすることも少なくなかったようで・・・
何度か負傷した時も病院からこっそり抜け出しては出撃、右足を切断してからは
さすがにおとなしく司令官として地上にいると上層部に思われており、
誰が破壊したかわからない戦車 が大量に発生したため
「お前らがやった事にしておけ」 とばかりに部下に功績を譲ったので、
嘘くさい撃墜スコアは実はこんなものではなかった とさえ言われています。
そのルーデルさん、終戦後に
「何故あのような遅い爆撃機で2500回も出撃し、生き残ることが出来たのか?」
と聞かれて、こう答えました。
「私には、これという秘訣はなかったのだが…」
変態 天才の真似はできない、ということですな(・∀・;)
身長も筋力も技術も何もかも違うんだから、マッケンローのボレーとかナダルのストロークを
真似するより、自分なりのフォームを見つけようと思います。
・・・ってまとめたら、少しはテニスブログっぽくなった?
第二次世界大戦中のドイツ空軍大佐 ハンス・ウルリッヒ・ルーデル
出撃回数2530回、被撃墜回数30回
戦果:戦車519輌、装甲車・トラック800台以上、火砲150門以上、
装甲列車4両、戦艦1隻、駆逐艦2隻、上陸用舟艇70隻以上、航空機9機・・・
(Wikipediaより)
あまりの戦功にソ連軍からは賞金10万ルーブル(現在の日本円で約1億円)の賞金を懸けられ、
65機撃墜のソ連でも有数のエースパイロット(もちろん戦闘機)を爆撃機で撃墜し、
高射砲により右足を失うが完治する前に病院を抜け出して義足で再び出撃し、
ルーデルが死ねば全軍の士気に影響が出るとして、総統ヒトラーに「昇進させてやるから出撃するな」
と言われたが断った。
嘘くさいでしょ?(・∀・;)
ええ。あんまりな撃墜スコアです。当時は撃墜数を水増しすることも少なくなかったようで・・・
何度か負傷した時も病院からこっそり抜け出しては出撃、右足を切断してからは
さすがにおとなしく司令官として地上にいると上層部に思われており、
誰が破壊したかわからない戦車 が大量に発生したため
「お前らがやった事にしておけ」 とばかりに部下に功績を譲ったので、
嘘くさい撃墜スコアは実はこんなものではなかった とさえ言われています。
そのルーデルさん、終戦後に
「何故あのような遅い爆撃機で2500回も出撃し、生き残ることが出来たのか?」
と聞かれて、こう答えました。
「私には、これという秘訣はなかったのだが…」
変態 天才の真似はできない、ということですな(・∀・;)
身長も筋力も技術も何もかも違うんだから、マッケンローのボレーとかナダルのストロークを
真似するより、自分なりのフォームを見つけようと思います。
・・・ってまとめたら、少しはテニスブログっぽくなった?
存じております
アメリカのA-10攻撃機の設計にも影響を与えた方ですな。
生き残ることが出来たのか?>客観的に見ると。Juの頑丈性もあったのですが、
地理的な面もありますよね。撃墜されても地上に降りることができれば這ってでも基地に戻れますから。太平洋戦線では無理でしょうこんなこと。
軍事的評論は別として軍事モノで面白い本をおひとつ
読んだことがあるかもしれませんが、佐々木譲の太平洋戦争3部作「ベルリン飛行指令」「エトロフ発緊急電」「ストックホルムの密使」はいいですよ。
ほとんど基地付近での戦闘だったから、撃墜されても歩いて帰ったそうな。水温3℃の川を泳いで渡ったり、捕まえようとしたソ連兵をぶん殴ったりしながらね(- -;)
てか、ザキさんの守備範囲広すぎだろ(・∀・;)